プレゼン研究室

プレゼン研究室 月別アーカイブ: 【4月 2011】

第二章 CM業界A面、B面14)                            「プランナーの苦労と、その報われ方」

14)「プランナーの苦労と、その報われ方」 音楽プロデューサーのTさんへ

十年前、Tさんにピアノを弾いてもらったラジオCMが、今年度のACCでパーマネント・コレクションに選ばれました。永久保存、殿堂入りでっせ。

 ACCは、正しくは「全日本CM放送連盟」だったかな。ビジネスとしての大役を終えたCMが、広告表現の面から評価されるコンクール。僕たちCMプランナーにとっては、年に一度の運動会のようなもの。自分の作った可愛いCMが、がんばってテープを切ってくれると嬉しい。金一封が出るわけでも、給料が上がるわけでもないけど、クライアントに知らせると、「よかったあ!  あのCM、部長はいろいろ言ってたけど、オレは好きだったんだ。ザマーミロだよねえ」なんて、担当が言ってくれたりする。作業中の恨みつらみも恩讐の彼方へ。とりあえずは、戦友のような気になれるのがいい。

 今年度のパーマネント・コレクションの対象になったのは、’85年から’90年に入賞したCM。それらをもう一度見直して、CM表現の金字塔として今なお輝き続ける、ほんの一握りのものに与えられるのが、殿堂入りの名誉でありまして::。いいじゃん、たまには自慢させてよ。自分で言わなきゃ、だれも言ってくれないんだもん。「やったね」とか「おめでとう」とか言ってくれたの、スタッフ以外では三人だよ。多いと取ったらいいのか、少ないと取ったらいいのか。知らないのかと思って、よせばいいのに、「オレの、殿堂入りした」、なんて言ったら、返ってきたのはこうだ。「知ってる」。挨拶の仕方、教えてやろうか、おら。
 厳正な審査の結果、(どうも、「厳正な」とくると「警察官立会いのもと」という枕詞が欲しくなるが、寡聞にして知らない)新たに殿堂入りを果たしたCMはテレビ9本、ラジオ4本。先週の、表彰式のあと開かれたパーティーで、審査にあたった一人の方が、「投票で、あれが一番だったよ」と囁いてくれた。スゴイよねえ、五年間に日本中で作られたラジオCMのなかで、一等賞だったんだよ。こういう事があるから、広告ってやめられないんだよね。仕事で、こういうガッツ・ポーズものがあるのって、他にはスポーツ選手か、ミュージシャンか、作家くらいしか思いつかない。
 殿堂入りのニュースを聞いて、受話器を置いた時、CMを作ったあの頃をはっきりと思いだした。もう十年前のことになるんだね。予算が厳しくて、同じクライアントが作っていたテレビCMの音楽録音に便乗させてもらった。
「ちょっと、ピアノ弾いて欲しいんだけど::」と言って、音楽プロダクションのアシスタントをしていたTさんと、同じくアシスタントのOさんの二人に頼んだ。ゆび一本での弾き語り。「ソラ  ソラ  シミ  シミ::ミレド  ミレド  シミ  シミ::」。後で「日焼けをそのままにしておくと::」のナレーションを入れて、シミ・ソバカス防止用の化粧品のCMに仕上げた。最後の「すぐ付けるのがミソ」の「ミソ」も、歌が心地よかった。一人づつ弾いてもらったのを、二本ともCMに仕上げた。で、そのうちの一つを放送したわけですが、どちらを選んだかは教えてあげない。二人とも、自分が弾いたほうだと思ってた方が、ぜったい体にいいもの。
 あの時は、気軽に頼んだように見えたと思うけど、ほんとは、かなり重い仕事だったのです。宣伝課長じきじきの御指名で、僕の属しているグループにやらせてみようという事になった。すぐ上に、若くして「名人」の地位を確立した先輩がいたのですが、「ラジオはアイツのほうがウマイですから」と売り込んでくれた。「アイツのほうが」ではなくて、「アイツが」だったような気もするが、ま、いいや。都合のいいほうで記憶するのは、僕の特技。どちらにしても、売り込んでくれたからには、応えなくては男がすたると思った。それが、苦難の始まりだった。
 広告御三家と呼ばれるクライアントのひとつ。その時代時代の、最も優秀とされるクリエイターたちが作った広告群は、そびえ立ち、連なる山脈に見えた。提案までの十日間は孤独と劣等感との戦いだった。書いても書いても不安になる。かなりいい線いってるかな、というアイデアを思いついても、この五年間くらいのCM年鑑を開いてみるともういけない。これで賞が取れるか。賞など入って当たり前のクライアント。一等賞が取れるか。あの課長を唸らせることができるか。富士山を見上げる丹沢のような無力感。
 会社にいても集中できないから、家に持ち帰る。プレッシャーという奴は、やっかいなもので、いいアイデアを出そうとあせればあせるほど、脳ミソにある発想の出口に栓をされたようで何も出なくなる。思いついては、自分で打ち消してしまうことの繰り返し。「思いつき」は上手に温めれば「アイデア」に変わるのに::。あの時、そんな余裕はなかった。大丈夫、まだ一週間ある。今日はもう何も出ない。寝たほうがいい。体力を温存すべきだと、言い訳しながらベッドに転がり込む。すると、今度は目が冴える。モンモンとしたあげく、また机に向かう。睡魔が襲う。それを繰り返すうちに窓の外が明るくなってくる。自信とは、「大丈夫、あの時だってできたじゃないか」と自分を励まし続けられるパワーのことである。浮かんでくるのは、何ということだ。「あの時だってできなかったじゃないか」というニガイ思いの数々。
 翌日も、その翌日も同じことの繰り返し。ああ、思い出すだけで気持ち悪くなってくる。午前二時頃になると、モウロウとしてくる。知らないうちに、机に突っ伏して寝ている。意識が戻ってくる。頭をまわして窓を見る。良かった、まだ暗い。握ったままになっていたサインペンの先から漏れたインクが、原稿用紙に三センチくらいの輪を描いて拡がっている。毛細管現象のために、輪郭部分にいくほど濃い。きれいだなあ、と思ってしばらくながめている。まるで受験生である。叫び出したくなる。三十歳にもなって、何で受験生やってなきゃいけないんだよう。あん時は、こんなに苦しくはなかったぞい。答えはあったし、範囲も決まっていたじゃないかよ。CMは、何でもありだもんな、ズルイよ::。ブツブツ独り言をいいながら、ふと気付く。「そうだよ、何でもありなんだよCMは」。とにかく思いついたことは捨てないで、何でもCMにまとめてやろう。そうおもったら、楽になった。朝までに十本くらいのプランが出た。
 先輩に見せた。「うん、いいじゃない」と、ボソッとひと言。そして、とんでもない言葉を続けた。「ものすごい数のプラン、持って行こうよ。それだけでびっくりさせようよ」。新人のFにも書かせようという。こちらはノイローゼの受験生である。他意はないのかもしれないが、真意をかんぐる。オレのデキが悪いから、カーチャンは弟に期待することにしたんだ。被害者意識とコンプレックスがうずまく。もう知らねえかんな、不良になってもカーチャンのせいだかんな。
  それから提出期限までの五日間は、どう過ごしたのか覚えていない。ただ、ドーナツ状に拡がったインクの輪を、何度か見た記憶だけがある。できたリングの大きさで、どのくらいの時間寝たかが判るという特技まで身に付いた。
  パーティー会場で、当時の担当課長に久しぶりでお会いした。「おめでとうございます」と挨拶すると、「あの時は、このくらい持ってきたもんね」と言って、親指と人指し指で原稿の厚みを示した。確実に五センチはあった。二十秒のラジオCMは、原稿用紙一枚に納まります。いったい何本のプランを持って行ったのだろう。三十歳というのは、まだまだ、がむしゃらな青春がやれたんですね。
会場の後ろの方で、いろんなことを考えていたので、タレント賞を受けた和久井 映見さんとのツー・ショットのチャンスを逃してしまった。グヤジー。
  Tさん、あの時はありがとう。また、がんばってみようね。



第二章 CM業界A面、B面 13)「競合プレゼンの功罪」

13)「競合プレゼンの功罪」 S社宣伝課のKさんへ

 先日の競合プレゼンテーション、三社の中から僕たちのプランを選んでいただいて、ありがとうございました。いよいよ実作業というわけですが、その前に「競合プレゼンの功罪」について、ちょっと考えてみました。

 競合はたしかに作業的にも精神的にもシンドイのですが、良い面もあります。このテーマ、どうやらディベートのやり方で自問自答したほうがハッキリしそうです。

 僕自身の意見はとりあえず横に置いておいて、まず、競合プレゼン反対という立場で話し、次に賛成という立場で話してみます。いわば「一人ディベート」です。
 〈反対の立場から〉

 競合プレゼンはメリットが少ないと考えます。僕たちプランナーにとってだけでなくクライアントにとっても利益にならない場合のほうが多いのです。

 競合で新規の仕事を獲得しようとする場合は、そのクライアントがやってきた過去の広告を否定することから入りがちです。良ければ変える必要などないわけだから、「今までどおりではいけない。なぜならば……」という論法になります。

 各社がそういったアプローチをとります。すべてのプレゼンテーションが終わるころには、「やはり今までの広告とは大きく方向を変えたほうが良さそうだ」という空気が会議室に充満してきます。自分の会社の広告は、いかに優れたものであっても、慣れてくると目移りするものです。社内が飽きてきたころに、やっと世間では認識が始まるというケースが多いのに、です。

 また、競合の場合は、プランナーの側にもプランを練ることに専念できないというデメリットがあります。競合相手を視野に入れて、敵がどう出てくるかのヨミが重要なポイントになってきます。

 四社競合の場合、各社が五案ずつCM案を出したとして、合計二十案。一番になるためには、いつもと違うスタンド・プレーも必要。「良い広告」よりも、「良さそうに見える広告」に走りがちです。

 TVフレームからはみ出す大きさで商品を描いて、御社の商品をこんなに大切に考えていますよ、とアピールしたり。絵コンテよりも、できあがりの感じがよくわかるようにビデオ・コンテを作るのはいいのですが、十五秒のCMなのにクライアントの言いたいことを全部入れた三十秒のビデオ・コンテを作ってしまったり。あんなの実際に作るとき、どうするんですかねぇ。

 また、提案する各案の組み合わせにも深謀遠慮。A案は商品と市場を考えて「やるべき」案。B案は「やるべきプラスやりたい」案。C案は手ごわいX社が出してきそうな「X社つぶし」案。D案はプレゼンが盛り上がる「ニギヤカシ」案。E案は、平凡な表現だが、減点法で選ばれるときに俄然光を放ち始める「事ナカレ」案。

 いずれにしても選ばれないことには始まらないわけで、いわゆる「コンテ映え」のよいプランを出しがち。選ぶ側もコンテ上で派手に見えるものを選びがちです。仕上がったときに「こんなはずでは……」になりやすいのです。

 競合プレゼンで負けた場合、しばらくすると敵の作ったCMを見ることになるわけですが、「サスガー。あれに負けたのならしょうがないや」と納得できるものにはめったにお目にかかれません。たいていの場合はこうです。「あんなの選んじゃったの?」
 広告はパートナーを決めて、コミュニケーションのパイプがしっかりとできた相手と作るべきです。
 〈賛成の立場から〉

 ほんとうの意味での新しい提案は、競合プレゼンという場でしかできないと思います。同じパートナーとの共同作業は良くも悪くもお互いを知りすぎている部分があります。ツーと言えばカーとなるわけで、逆に言えば「カー」しか出てこないのです。「ヘー」や「ホー」を期待するなら競合プレゼンです。

 プランナーとしても、今まで「カー」しか出せなかった欲求不満をぶつけるチャンスです。競合プレゼンは多くの場合、幹部への直接提案です。「今までの広告のあり方を見直すべきである」、といった踏み込んだ話ができるのも、広く外部の者の考えに耳を貸そうという競合プレゼンの場であればこそ。

 さらに、僕たちの提案が支持された場合、そのCMプランは宣伝部内でも尊重されます。いくつもの可能性をさぐったうえで自分たちで採用したプランです。大きな修正など加えたのでは、元も子もありません。プランナーにとってはイメージどおりのCMを仕上げるチャンスです。
 大胆な発想、新しい表現の広告が思う存分やれるのは競合プレゼンあってこそです。
 さて、Kさんはどちらを支持しますか。なぜか〈賛成の立場から〉のコメントが少なくなってしまいましたが、他意はありません。ほんとうです。



第二章 CM業界A面、B面 12)「TV局のプロデューサーに告ぐ」

12)「TV局のプロデューサーに告ぐ」 プロデューサーのSへ

 僕は怒っているのだ。Sはまったくわかっていない。わかってないんだから黙ってろ、と言いたい。そうだ。同窓会の二次会での発言だ。

 「どうして広告の人間ってあんなにタレントに気兼ねするんだ? お前らCMの人間がタレントをエラくしてるんじやないのか? ナレーションの一字一句までスポンサーがチェックするんだって? よくやってられるよなぁ」
 あれだよ。思い出したか。まず、基本的な用語の訂正から始めるとだ、残念ながらCMの世界ではスポンサーとは言わない。クライアントとか得意先と呼ぶのである。

 僕はクライアントという言葉が好きだ。「クライアント」を相手とする職業をあげてみれば、弁護士、会計士、私立探偵などがある。つまり依頼主の意を受けて、専門分野について知恵をしぼり汗を流すパートナーなのだ。

 スポンサーというのは後援者であって、相撲でいうタニマチ。花柳界でいうダンナ。寄席でいうオダン。コロンブスのイサベル女王である。スポンサーとスポンサードされた者との間にはホンネとタテマエがあるが、クライアントとの間にはホンネだけがある。僕は、そのホンネから生まれるクールな緊張関係が好きなのだ。実態は知らない。知らないが、スポンサーという言葉には「ウッフン、オネガイ」、「ヨッシヤ、ポン!」そんなイメージが僕にはある。

 スポンサーの場合、世間に出るのはスポンサードされた人やイベントであり、クライアントの場合、世に出るのはクライアントである。僕たちは「菊見るときは陰の人」なのだ。「こんなの出して恥をかくのは宣伝部長のワタシだ」と面罵されたことがあるが、じつはこれは、まったくもって正しい。「こんなの」と「恥をかく」かどうかは大いに異論のあるところではあるのだが。

 そして、クライアントの言うことは、かなり正しいのだ。このCMが一般の家庭に入ったとき、どう見られるか。魅力あるメッセージか。傷つく人はいないか。工場の若い社員たちは元気が出るだろうか。流通の人は力を入れて売ってくれるだろうか。経営者の方針とズレていないか。会社を大切に思っている人ほど、チェックポイントは多く、勇気ある選択は正しい。正しいというのは「その企業にとって正しい広告」がチョイスされるということだ。

 企業は、外から見えるのはそれこそ氷山の一角で、水面下には創業から営々と築きあげた歴史がある。その企業が企業として成り立っている根幹の部分がある。CMプランナーの、やりたい、やりたくないという思いを超えたところで、「正しい」選択がされているはずである。

 ただ、岡目八目という言葉があるように、離れて見たほうが正確に見える場合がある。欠点もハッキリわかったりする。クライアントの業界以外のことも、CMプランナーは仕事をとおして知っている。また、たとえば炭酸飲料を売るのに「コーラじゃない」というアプローチをして、アメリカで大成功をおさめた7UPの広告があるように、生活者の目から見直して商品の魅力を発見することも得意だ。

 そのあたりの技とアタマ分認められてパートナーシップが成立しているのだ。あくまでも、世間に出るのはクライアントの名前。一字一句が「合意の上で」は当たり前だ。
 
 次に、タレント云々の件。CMは、商品を売るためにタレントの力を借りているのだ。商品のイメージを、あるベクトルでシフトするために、タレントのもっているイメージを拝借しているわけだ。時には、そのイメージがジャマになったりもする。いわゆる名前の売れていない人のほうが、商品がフレッシュに見えることがある。だから、CMの人たちは、いわゆる売れていないからといって、タレントに横柄な態度をとったりすることは断じてない。少なくとも僕の知っている人たちにはいない。

 CMプランナーをはじめ、CMを作っている人間には、何よりも生活者のふつうのバランス感覚が大切なのだ。だから僕らはキミたちのように、アシスタントの女性を「みどり!」なんて、呼び捨てにはしないのだ。

 キミは芸能関係の人間であって、僕はビジネスマンなのだ。同じようにスニーカーをはいて、セーターなんか着ていてもだ。S、どうだ、わかったか!



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