プレゼン研究室

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第二章 CM業界A面、B面14)                            「プランナーの苦労と、その報われ方」

14)「プランナーの苦労と、その報われ方」 音楽プロデューサーのTさんへ

十年前、Tさんにピアノを弾いてもらったラジオCMが、今年度のACCでパーマネント・コレクションに選ばれました。永久保存、殿堂入りでっせ。

 ACCは、正しくは「全日本CM放送連盟」だったかな。ビジネスとしての大役を終えたCMが、広告表現の面から評価されるコンクール。僕たちCMプランナーにとっては、年に一度の運動会のようなもの。自分の作った可愛いCMが、がんばってテープを切ってくれると嬉しい。金一封が出るわけでも、給料が上がるわけでもないけど、クライアントに知らせると、「よかったあ!  あのCM、部長はいろいろ言ってたけど、オレは好きだったんだ。ザマーミロだよねえ」なんて、担当が言ってくれたりする。作業中の恨みつらみも恩讐の彼方へ。とりあえずは、戦友のような気になれるのがいい。

 今年度のパーマネント・コレクションの対象になったのは、’85年から’90年に入賞したCM。それらをもう一度見直して、CM表現の金字塔として今なお輝き続ける、ほんの一握りのものに与えられるのが、殿堂入りの名誉でありまして::。いいじゃん、たまには自慢させてよ。自分で言わなきゃ、だれも言ってくれないんだもん。「やったね」とか「おめでとう」とか言ってくれたの、スタッフ以外では三人だよ。多いと取ったらいいのか、少ないと取ったらいいのか。知らないのかと思って、よせばいいのに、「オレの、殿堂入りした」、なんて言ったら、返ってきたのはこうだ。「知ってる」。挨拶の仕方、教えてやろうか、おら。
 厳正な審査の結果、(どうも、「厳正な」とくると「警察官立会いのもと」という枕詞が欲しくなるが、寡聞にして知らない)新たに殿堂入りを果たしたCMはテレビ9本、ラジオ4本。先週の、表彰式のあと開かれたパーティーで、審査にあたった一人の方が、「投票で、あれが一番だったよ」と囁いてくれた。スゴイよねえ、五年間に日本中で作られたラジオCMのなかで、一等賞だったんだよ。こういう事があるから、広告ってやめられないんだよね。仕事で、こういうガッツ・ポーズものがあるのって、他にはスポーツ選手か、ミュージシャンか、作家くらいしか思いつかない。
 殿堂入りのニュースを聞いて、受話器を置いた時、CMを作ったあの頃をはっきりと思いだした。もう十年前のことになるんだね。予算が厳しくて、同じクライアントが作っていたテレビCMの音楽録音に便乗させてもらった。
「ちょっと、ピアノ弾いて欲しいんだけど::」と言って、音楽プロダクションのアシスタントをしていたTさんと、同じくアシスタントのOさんの二人に頼んだ。ゆび一本での弾き語り。「ソラ  ソラ  シミ  シミ::ミレド  ミレド  シミ  シミ::」。後で「日焼けをそのままにしておくと::」のナレーションを入れて、シミ・ソバカス防止用の化粧品のCMに仕上げた。最後の「すぐ付けるのがミソ」の「ミソ」も、歌が心地よかった。一人づつ弾いてもらったのを、二本ともCMに仕上げた。で、そのうちの一つを放送したわけですが、どちらを選んだかは教えてあげない。二人とも、自分が弾いたほうだと思ってた方が、ぜったい体にいいもの。
 あの時は、気軽に頼んだように見えたと思うけど、ほんとは、かなり重い仕事だったのです。宣伝課長じきじきの御指名で、僕の属しているグループにやらせてみようという事になった。すぐ上に、若くして「名人」の地位を確立した先輩がいたのですが、「ラジオはアイツのほうがウマイですから」と売り込んでくれた。「アイツのほうが」ではなくて、「アイツが」だったような気もするが、ま、いいや。都合のいいほうで記憶するのは、僕の特技。どちらにしても、売り込んでくれたからには、応えなくては男がすたると思った。それが、苦難の始まりだった。
 広告御三家と呼ばれるクライアントのひとつ。その時代時代の、最も優秀とされるクリエイターたちが作った広告群は、そびえ立ち、連なる山脈に見えた。提案までの十日間は孤独と劣等感との戦いだった。書いても書いても不安になる。かなりいい線いってるかな、というアイデアを思いついても、この五年間くらいのCM年鑑を開いてみるともういけない。これで賞が取れるか。賞など入って当たり前のクライアント。一等賞が取れるか。あの課長を唸らせることができるか。富士山を見上げる丹沢のような無力感。
 会社にいても集中できないから、家に持ち帰る。プレッシャーという奴は、やっかいなもので、いいアイデアを出そうとあせればあせるほど、脳ミソにある発想の出口に栓をされたようで何も出なくなる。思いついては、自分で打ち消してしまうことの繰り返し。「思いつき」は上手に温めれば「アイデア」に変わるのに::。あの時、そんな余裕はなかった。大丈夫、まだ一週間ある。今日はもう何も出ない。寝たほうがいい。体力を温存すべきだと、言い訳しながらベッドに転がり込む。すると、今度は目が冴える。モンモンとしたあげく、また机に向かう。睡魔が襲う。それを繰り返すうちに窓の外が明るくなってくる。自信とは、「大丈夫、あの時だってできたじゃないか」と自分を励まし続けられるパワーのことである。浮かんでくるのは、何ということだ。「あの時だってできなかったじゃないか」というニガイ思いの数々。
 翌日も、その翌日も同じことの繰り返し。ああ、思い出すだけで気持ち悪くなってくる。午前二時頃になると、モウロウとしてくる。知らないうちに、机に突っ伏して寝ている。意識が戻ってくる。頭をまわして窓を見る。良かった、まだ暗い。握ったままになっていたサインペンの先から漏れたインクが、原稿用紙に三センチくらいの輪を描いて拡がっている。毛細管現象のために、輪郭部分にいくほど濃い。きれいだなあ、と思ってしばらくながめている。まるで受験生である。叫び出したくなる。三十歳にもなって、何で受験生やってなきゃいけないんだよう。あん時は、こんなに苦しくはなかったぞい。答えはあったし、範囲も決まっていたじゃないかよ。CMは、何でもありだもんな、ズルイよ::。ブツブツ独り言をいいながら、ふと気付く。「そうだよ、何でもありなんだよCMは」。とにかく思いついたことは捨てないで、何でもCMにまとめてやろう。そうおもったら、楽になった。朝までに十本くらいのプランが出た。
 先輩に見せた。「うん、いいじゃない」と、ボソッとひと言。そして、とんでもない言葉を続けた。「ものすごい数のプラン、持って行こうよ。それだけでびっくりさせようよ」。新人のFにも書かせようという。こちらはノイローゼの受験生である。他意はないのかもしれないが、真意をかんぐる。オレのデキが悪いから、カーチャンは弟に期待することにしたんだ。被害者意識とコンプレックスがうずまく。もう知らねえかんな、不良になってもカーチャンのせいだかんな。
  それから提出期限までの五日間は、どう過ごしたのか覚えていない。ただ、ドーナツ状に拡がったインクの輪を、何度か見た記憶だけがある。できたリングの大きさで、どのくらいの時間寝たかが判るという特技まで身に付いた。
  パーティー会場で、当時の担当課長に久しぶりでお会いした。「おめでとうございます」と挨拶すると、「あの時は、このくらい持ってきたもんね」と言って、親指と人指し指で原稿の厚みを示した。確実に五センチはあった。二十秒のラジオCMは、原稿用紙一枚に納まります。いったい何本のプランを持って行ったのだろう。三十歳というのは、まだまだ、がむしゃらな青春がやれたんですね。
会場の後ろの方で、いろんなことを考えていたので、タレント賞を受けた和久井 映見さんとのツー・ショットのチャンスを逃してしまった。グヤジー。
  Tさん、あの時はありがとう。また、がんばってみようね。



第二章 CM業界A面、B面 13)「競合プレゼンの功罪」

13)「競合プレゼンの功罪」 S社宣伝課のKさんへ

 先日の競合プレゼンテーション、三社の中から僕たちのプランを選んでいただいて、ありがとうございました。いよいよ実作業というわけですが、その前に「競合プレゼンの功罪」について、ちょっと考えてみました。

 競合はたしかに作業的にも精神的にもシンドイのですが、良い面もあります。このテーマ、どうやらディベートのやり方で自問自答したほうがハッキリしそうです。

 僕自身の意見はとりあえず横に置いておいて、まず、競合プレゼン反対という立場で話し、次に賛成という立場で話してみます。いわば「一人ディベート」です。
 〈反対の立場から〉

 競合プレゼンはメリットが少ないと考えます。僕たちプランナーにとってだけでなくクライアントにとっても利益にならない場合のほうが多いのです。

 競合で新規の仕事を獲得しようとする場合は、そのクライアントがやってきた過去の広告を否定することから入りがちです。良ければ変える必要などないわけだから、「今までどおりではいけない。なぜならば……」という論法になります。

 各社がそういったアプローチをとります。すべてのプレゼンテーションが終わるころには、「やはり今までの広告とは大きく方向を変えたほうが良さそうだ」という空気が会議室に充満してきます。自分の会社の広告は、いかに優れたものであっても、慣れてくると目移りするものです。社内が飽きてきたころに、やっと世間では認識が始まるというケースが多いのに、です。

 また、競合の場合は、プランナーの側にもプランを練ることに専念できないというデメリットがあります。競合相手を視野に入れて、敵がどう出てくるかのヨミが重要なポイントになってきます。

 四社競合の場合、各社が五案ずつCM案を出したとして、合計二十案。一番になるためには、いつもと違うスタンド・プレーも必要。「良い広告」よりも、「良さそうに見える広告」に走りがちです。

 TVフレームからはみ出す大きさで商品を描いて、御社の商品をこんなに大切に考えていますよ、とアピールしたり。絵コンテよりも、できあがりの感じがよくわかるようにビデオ・コンテを作るのはいいのですが、十五秒のCMなのにクライアントの言いたいことを全部入れた三十秒のビデオ・コンテを作ってしまったり。あんなの実際に作るとき、どうするんですかねぇ。

 また、提案する各案の組み合わせにも深謀遠慮。A案は商品と市場を考えて「やるべき」案。B案は「やるべきプラスやりたい」案。C案は手ごわいX社が出してきそうな「X社つぶし」案。D案はプレゼンが盛り上がる「ニギヤカシ」案。E案は、平凡な表現だが、減点法で選ばれるときに俄然光を放ち始める「事ナカレ」案。

 いずれにしても選ばれないことには始まらないわけで、いわゆる「コンテ映え」のよいプランを出しがち。選ぶ側もコンテ上で派手に見えるものを選びがちです。仕上がったときに「こんなはずでは……」になりやすいのです。

 競合プレゼンで負けた場合、しばらくすると敵の作ったCMを見ることになるわけですが、「サスガー。あれに負けたのならしょうがないや」と納得できるものにはめったにお目にかかれません。たいていの場合はこうです。「あんなの選んじゃったの?」
 広告はパートナーを決めて、コミュニケーションのパイプがしっかりとできた相手と作るべきです。
 〈賛成の立場から〉

 ほんとうの意味での新しい提案は、競合プレゼンという場でしかできないと思います。同じパートナーとの共同作業は良くも悪くもお互いを知りすぎている部分があります。ツーと言えばカーとなるわけで、逆に言えば「カー」しか出てこないのです。「ヘー」や「ホー」を期待するなら競合プレゼンです。

 プランナーとしても、今まで「カー」しか出せなかった欲求不満をぶつけるチャンスです。競合プレゼンは多くの場合、幹部への直接提案です。「今までの広告のあり方を見直すべきである」、といった踏み込んだ話ができるのも、広く外部の者の考えに耳を貸そうという競合プレゼンの場であればこそ。

 さらに、僕たちの提案が支持された場合、そのCMプランは宣伝部内でも尊重されます。いくつもの可能性をさぐったうえで自分たちで採用したプランです。大きな修正など加えたのでは、元も子もありません。プランナーにとってはイメージどおりのCMを仕上げるチャンスです。
 大胆な発想、新しい表現の広告が思う存分やれるのは競合プレゼンあってこそです。
 さて、Kさんはどちらを支持しますか。なぜか〈賛成の立場から〉のコメントが少なくなってしまいましたが、他意はありません。ほんとうです。



第二章 CM業界A面、B面 12)「TV局のプロデューサーに告ぐ」

12)「TV局のプロデューサーに告ぐ」 プロデューサーのSへ

 僕は怒っているのだ。Sはまったくわかっていない。わかってないんだから黙ってろ、と言いたい。そうだ。同窓会の二次会での発言だ。

 「どうして広告の人間ってあんなにタレントに気兼ねするんだ? お前らCMの人間がタレントをエラくしてるんじやないのか? ナレーションの一字一句までスポンサーがチェックするんだって? よくやってられるよなぁ」
 あれだよ。思い出したか。まず、基本的な用語の訂正から始めるとだ、残念ながらCMの世界ではスポンサーとは言わない。クライアントとか得意先と呼ぶのである。

 僕はクライアントという言葉が好きだ。「クライアント」を相手とする職業をあげてみれば、弁護士、会計士、私立探偵などがある。つまり依頼主の意を受けて、専門分野について知恵をしぼり汗を流すパートナーなのだ。

 スポンサーというのは後援者であって、相撲でいうタニマチ。花柳界でいうダンナ。寄席でいうオダン。コロンブスのイサベル女王である。スポンサーとスポンサードされた者との間にはホンネとタテマエがあるが、クライアントとの間にはホンネだけがある。僕は、そのホンネから生まれるクールな緊張関係が好きなのだ。実態は知らない。知らないが、スポンサーという言葉には「ウッフン、オネガイ」、「ヨッシヤ、ポン!」そんなイメージが僕にはある。

 スポンサーの場合、世間に出るのはスポンサードされた人やイベントであり、クライアントの場合、世に出るのはクライアントである。僕たちは「菊見るときは陰の人」なのだ。「こんなの出して恥をかくのは宣伝部長のワタシだ」と面罵されたことがあるが、じつはこれは、まったくもって正しい。「こんなの」と「恥をかく」かどうかは大いに異論のあるところではあるのだが。

 そして、クライアントの言うことは、かなり正しいのだ。このCMが一般の家庭に入ったとき、どう見られるか。魅力あるメッセージか。傷つく人はいないか。工場の若い社員たちは元気が出るだろうか。流通の人は力を入れて売ってくれるだろうか。経営者の方針とズレていないか。会社を大切に思っている人ほど、チェックポイントは多く、勇気ある選択は正しい。正しいというのは「その企業にとって正しい広告」がチョイスされるということだ。

 企業は、外から見えるのはそれこそ氷山の一角で、水面下には創業から営々と築きあげた歴史がある。その企業が企業として成り立っている根幹の部分がある。CMプランナーの、やりたい、やりたくないという思いを超えたところで、「正しい」選択がされているはずである。

 ただ、岡目八目という言葉があるように、離れて見たほうが正確に見える場合がある。欠点もハッキリわかったりする。クライアントの業界以外のことも、CMプランナーは仕事をとおして知っている。また、たとえば炭酸飲料を売るのに「コーラじゃない」というアプローチをして、アメリカで大成功をおさめた7UPの広告があるように、生活者の目から見直して商品の魅力を発見することも得意だ。

 そのあたりの技とアタマ分認められてパートナーシップが成立しているのだ。あくまでも、世間に出るのはクライアントの名前。一字一句が「合意の上で」は当たり前だ。
 
 次に、タレント云々の件。CMは、商品を売るためにタレントの力を借りているのだ。商品のイメージを、あるベクトルでシフトするために、タレントのもっているイメージを拝借しているわけだ。時には、そのイメージがジャマになったりもする。いわゆる名前の売れていない人のほうが、商品がフレッシュに見えることがある。だから、CMの人たちは、いわゆる売れていないからといって、タレントに横柄な態度をとったりすることは断じてない。少なくとも僕の知っている人たちにはいない。

 CMプランナーをはじめ、CMを作っている人間には、何よりも生活者のふつうのバランス感覚が大切なのだ。だから僕らはキミたちのように、アシスタントの女性を「みどり!」なんて、呼び捨てにはしないのだ。

 キミは芸能関係の人間であって、僕はビジネスマンなのだ。同じようにスニーカーをはいて、セーターなんか着ていてもだ。S、どうだ、わかったか!



第二章 CM業界A面、B面                            11)「マーフィーの法則・広告篇 」

11)「マーフィーの法則・広告篇 」 建築家のKへ

 このあいだは楽しかった。例の「マーフィーの法則」をサカナにした酒飲み話。注文建築の設計をやっているKならではの、建築家版「マーフィーの法則」。
 
「依頼主の満足度は、いかに希望をかなえてあげるかではなく、いかに上手に諦めさせるかで決まる」とか、「奥さんが参加しない打ち合わせは、あとでかならず変更が入る」とか、面白かった。シニカルではあるけれど、たしかに核心を突いていたりするんだよね。
 あのあとで、僕もいくつか思いついたので書き出してみました。
 「マーフィーの法則(広告篇)」

● 決定権のある人は、常に、ひと通りプレゼンテーションが終わったときに会議室に現われる。
● プロデューサーがスタッフに言う「今度なんとかするから」の「今度」は、少なくとも十年単位である。
● 広告会社の営業担当者がCMプランナーに言う「99パーセント大丈夫」は、99パーセント大丈夫でない。

● プレゼンテーションで反応のある人には、決定権がない。
● 自分が遅れた会議は、定時に始まっている。
● オーディションで、いちばんかわいいと思うモデルは、必ず最終選考で落ちる。

● 商品を見て最初に浮かんだアイデアが、結局はいちばんよい。
● 怖い顔の人ほど心が優しい。
● コピー機の調子が悪くなるのは、必ずプレゼンテーション直前である。

● 一緒に仕事をしたいクライアントの担当者ほど異動する。
● 仕上げを急がされた仕事は、仕上がってからオンエアまでに時間がかかる。
● 決定が出るまでに時間のかかった企画ほど、ひっくり返る。

● 宣伝部長命令の改訂は、どう直しても気に入られることはない。改訂を部下に命じたこと自体が、すでに不愉快なのである。
● 終電が出ないと撮影は終わらない。
● 撮影まで問題を持ちこさないのが鉄則。よって、スタジオでボケーとしているプロデューサーは優秀である。

● カメラマンの厳しさと、助手の黒装束度は比例する。
● 「無理に押し付けるつもりはないけど」というクライアントの発言は「オーダー」プラス「私は嫌われたくない」である。
● 上司の言う「たとえば」はオーダーである。

● 音楽録りで、直してほしい箇所に気づくのは、プレーヤーが帰った後である。
● 時間のない仕事は、撮影を境にクライアントと制作者の力関係が逆転する。
● AB両タイプを編集して見せると、必ず決まってほしくないほうに決まる。

● 宣伝部長のお嬢さんの意見は、影響力において課長十人分に匹敵する。
● 肩書が付くと、男は女性化する。
● (広告篇から離れるが)「私の履歴書」で四十代を詳述する人はいない。偉くなった人は四十代のことは書きにくいものらしい。

● 人のプランに賛成するのは、反対するより勇気を要する。
● 女性化粧品が得意な演出家に美男はいない。
● 四十代以上の人が言う「好きな若手ミュージシャン」とは、彼の娘、あるいは息子の好みである。

● 打ち合わせでは、ちょっと席をはずしたとたんに、いちばん大事なことが決まっている。
● 会いたくない人とは、いちばん会いたくない場所で会う。
● ストレスがたまる仕事ほど、クライアントからは好人物との印象をもたれる。
● 働けば働くほどハードルは高くなり苦しくなる。ラクすればラクするほどハードルは低くなりラクになる。

 これ以上書くと、なんだか落ち込んでしまいそうな気分。「マーフィーの法則」に流れているデジタルでシニカルな思考が、僕にはちょっとついて行けないのかもしれん。遊びとしては面白いんだけどね。では、また。

● 十五秒間、真っ白なCMが出たことはない。すべては時間が解決する。



第二章 CM業界A面、B面                            10)「マル秘テープB面」

10)「マル秘テープB面」 映像新聞編集部のNさんへ

 前回、手紙に書いた録音テープの件ですが、じつは、まだ続きがありました。B面にも入っていたのです。こちらは録音状態が良好です。また内容を紹介しますが、Nさん、活字にしたら今後こそほんとうに許さないからね。
 B面はどうやらプロデューサー(P)と、制作進行(PM)の会話と思われます。A面に出てきた演出家が帰った直後のようです。

(PM)演出家、帰りました? あいつけっこう文句が多いですよね。
(P)聞いてたのか。オレは彼の言ってることもよくわかるけどな。
(PM)でも、高いギャラ取って、文句タラタラ、よく言いますよ。
(P)そりゃそうだけどさ、それを言っちゃあ……あ、オレも腹立ってきた。
(PM)立ちますよね。
(P)今は、演出家がみんな事務所入ったり、奥さんに秘書やらしてるから、やりにくく  てかなわんな。貸しがあるからって、「ねえ、頼むよ」てな具合にいかなくなっちゃ  った。
(PM)「事務所しかスケジュールわかんないから」、なんて逃げられて。
(P)そう、事務所に電話してみると、「ロケが入っていてダメです」。ホントのところ  はどうだかな。売れてない頃に、方々にオススメして歩いてやったの、このオレだぜ  。

 (おやおや。のっけから、小生の知らない話が出てきました)

(PM)スタッフ主義の入って二種類あると思いません?クオリティを守りたい人と…
(P)自信のないやつ。自分のやりたいことを、アウンの呼吸でだ、アウンって書けるか  。アは、アホウのアだ。
(PM)ウンは?
(P)ウンは……まあいいや。アウンの呼吸でやれるスタッフと組みたい。そういうのは  わかるよな。問題は、自信がないやつ。自分に自信がないもんだから、優秀なカメラ  、照明、美術スタッフでかためて、自分の保険にする演出家。いるだろ。
(PM)いますよねえ。スタッフのギャラばっか高くなって、弁当代ケチリたくもなりま  すよ。そういうのに限って、「また柿右衛門の弁当?」とか言って。三年前には、一  緒に駅の立ち食いソバ屋人って、ウマイうまいって言ったんですよ、アイツ。
  もっとモデルの人数がいないと成立しないなんて言っといてさ。フィルムあがってみ  ると、どこにも写ってないのがいたりしてさ。ギャラの清算しながら、あのヤローつ  て。あいつの名刺、破ってやりましたよ。
(P)おまえ、なんか今日、荒れてるな。家庭はうまくいってる?
(PM)帰ってないのに、うまくいくわけないっすよ。ま、それはいいんですけど。
  ホント、「いちいちカメラマンに相談するんじやねえよ」つて言ってやりたくなりま  すよ。カメラマンに演出のアドバイスしてもらってどうすんの。
  ディレクター、つーのはディレクションする人ですよね。スタッフにディレクション  されてばっかじや、肩書が泣きますよ。
(P)さすが英文科だな。
(PM) ついでに言うと、プロデューサー、つーのはプロデュースする人ですよね。
(P)おいおい、オレのことはいいよ。ほっとけ。
(PM)そういうのに限って、代理店のウケが良かったりするから始末が悪いですよ。
(P)仕上がったCMからは、だれの力かというのは見えにくいもんな。
 
(確かに、あがり良ければすべて良し。演出家の力量は見えにくいところがあります。で も、いいスタッフを持っているということは、それもひとつの力量であることには、違 いないわけでありまして……)

(P)近頃、演出家と飲むこと少なくなったよな。
(PM)代理店とかプロデューサーとベタベタの関係になるの、ヤなんじやないですか
(P)MAVのあとくらい、一緒に仕事した人間とワイワイやってもいいよな。特に、い  い仕事ができたときはさ。
(PM)「ボク、クルマで来てるから」なんて言ってさ。ピッカピカのBMW乗って帰る  んですよね。この前、オールスタッフ打ち合わせやっていて気がついたんですけど、  シャツのテカリが何か違うなと思ったら、よく見ると、シルクですよ、シルク。
  そう思ってまわりを見たら、カメラマンも照明もスタイリストも、みんないいモン着  てますよ。特売の安モンのシャツなんか着てるのは、代理店とボクとプロデューサー  だけですよ。
(P)おい、お前……。いつからそういう人間になったんだ。さもしいヤツだな。
  「さもしい」って言葉、知ってるか。そんなこと考えてるから人相が悪くなるんだ。  ほら、上目づかいで見るんじゃねえよ。プロデューサーってのはな。おまえも、あと  二、三年でプロデューサーだろうが。プロデューサーは、CMを実際に作る側の責任  者なんだぞ。現場をすべて預かってるんだぞ。
  スタッフは、お前の手のひらの上にいるんだ。そこで遊ばせてやるのがオレたちだろ  うがよ。ココロザシを高くもってなくちゃだめだ。仕事が楽しくなってこないぞ。
(PM)すみません……。

(しばらく沈黙がきました。ここで、プロデューサーが「海を見に行こうか」と言えば森田健作の青春映画です)

(P)まあ、オレは、ほんとうにおもしろいのはプロデューサーよりPMだと思うけどな  。Pは代理店ワークが多くて気ばっかりつかう。うまくいって当たり前、何かあった  らPの責任。プロデューサーっていうのはそういうもんだぜ。
  PMは、うまくいけば、「あいついいね」ってことになるし、ヘマやってもプロデュ  ーサーが謝ってくれるんだからさ。
(PM)そうですかねえ。プロデューサーは、うまいもん食って飲んでる感じしますけど  ねえ。
(P)バカ、胃薬飲みながら酒飲んでうまいわけないだろ。あ、腰いて。
(PM)ギックリ腰、まだ治らないんですか。運動不足ですよ。
(P)「十歩あるくなら走れ」つて言われたPMのころは、カラダの調子もよかったなぁ  。おっと、こんな話してられねぇや。
  見積り書かなきや。お前も清算たまってんだろ。
(PM) いっけねえ。

 ここでテープは終わりました。小生は、プロデューサーの言った言葉をつぶやいてみました。ココロザシ、こころざし……。そうだよなあ、プランナーも「志」だよなあ。そう言いつつ、特価三千九百円で買ったズボンのひざをポンと打ちました。



第二章 CM業界A面、B面                          9)「ホンネ収録、マル秘テープ入手」

9)「ホンネ収録、マル秘テープ入手」 映像新聞編集部のNさんへ

 不景気といえど、師走に入ると何かと気ぜわしく、ついうっかりが多くなりがち。先日、音楽の打ち合わせにウォークマンを持って行き、置き忘れてしまいました。翌日返ってきたのですが、カセットに入っていたはずの音楽が途中から消えて、人の話し声に変わっていました。どうやら、だれかが間違って録音ボタンを押してしまったようです。録音状態が悪く、途中で途切れたり、またノイズが入ったりしています。会話の主は二人で、内容から察するにCMプロデューサーと演出家と思われます。以下録音テープの内容です。(P)はプロデューサー、(D)は演出家と推定される人物です。

(D)信用しているプロデューサーのあんたの紹介だからと思ったのに、ちょっとひどいよ。代理店のあんなのに引き合わせるんだものな。
(P)すまん。この埋め合わせはどこかでするからさ。
(D)人が悪い、アタマ悪い、カネはないの三拍子そろってるんじや、俺だって立つ瀬ないぜ。あんな、編集のタイトル入れる段になって、別のカット使いたいとか言い出   すの、いちばん困るんだよ。
(P)口を出すタイミングって、たしかにある。あそこで言われたら徹夜の編集作業は何だったのってことになるし、カネだって全くムダになるわけだし。どこで何を決め   なきやいけないかという、CMの作業行程の基本くらいは最低勉強しておいてほし   いな。
(D)議論するのヤだから、代理店の言うとおり一応やって見せてあげる方針なんだ。そうすりゃ、良いか悪いかわかるじゃない。ま、わかんないのもたまにはいるけど。だ  けどさ、ハリー(※編集機の名前)なんかの作業になってくると、やって見せるだけ  で百万単位でカネが出ていくし、時間もかかるしで、それもできにくくなってるんだ  よな。
(P)事前の打ち合わせはトコトンやっとかなきやダメだと思うし、今回、やったつもりだったんだけどな。
(D)オしさ、CMプランナーはキャッチャーだと思うわけ。ここに投げろってキチッとミットを構えてくれないと困る。それをしないで、球の握りはこうとか、足のあげ方  はどうとかの指示ばっかりするから、ピッチャーのオレが混乱するんだよ。
(P)こっちもプロで、それでメシを食ってるわけだからな。
(D)そう、オレの勝負球を知ってて起用したのなら、「ここに投げろ」をキチンと示してはしいんだな。投球フォームを修正するくらいなら、起用しなきやいいんだ。そう  いう連中にかぎって、うまくいきゃ自分の手柄にするし、悪けりやこっちのせいだも  のな。
(P)ま、今回だけは、やってよ。彼もあんたのこと気に入ってるし。これからは指名がきても、海外ロケでスケジュールが合わないってことにするからさ。
(D)たのむよ……。

(そうか。いつもスケジュールが合わない演出家がいるけど、嫌われてるんだ、やっぱり)

(D)プランナーでも、キチンと「クリエイティブとしてどうだ」と言える人は少ないね。クライアントがどう言ってる、こう言ってるばかりで、それじゃ、クリエイティブ  のあなたはどう言ってるんですかって聞きたくなる。
(P)だから、クライアントに突っ込まれると、すぐ演出家にふる……。
(D)一緒に打ち合わせして、納得したはずなのに、こっちにふるのはおかしいよね。あと困るのは、「個人的には面白いと思うんだけど」つていうの。べつに個人的にプラ  ンナーと付き合ってるわけじゃないからさ。オレにはそっちの趣味ないし、個人的に  どう思うかなんて言われても何にもならないわけでさ……。

(ノイズ多く、しばらく聞き取れず。その間に話題の主が変わったようす)

(P)院政を布(し)く人って参るな。お疲れサマしてさ、ホツとしてると、翌日電話かかってきて、上がこう言ってるから直してほしいっていうケース。
(D)あれはない。ないよね。
(P)ルール違反だよ。現場判断がますます重要になってきているし、いない人の思惑で動くわけにいかなくなってきてる。それがたび重なると、オレたちは現場に立ち会っ  てる担当者を信用できなくなる。このあいだ、担当の彼に、上の××(ノイズで聞こ  えず)さん何ておっしやってますかって、しつこく聞いてたら、カチンときたらしく  て、彼、椅子けっとばして帰っちゃった。オレもいけなかったけど、その確認しない  と仕事が前に進めなくてさ。
(D)ま、現場に立ち会わずに、ああだ、こうだ言うのはズルイってことは言えるね……
(またまた、しばらく聞き取れず)

(D)××さんて、ウルサ型だと思われてるけど、オいは案外御しやすい。「ここで妥協すると、すべてが壊れますよ」てなことを言うと、がんばってくれることが多いな。  彼って自分のことインテリだと思ってるから正論で押すに限る。
(P)それは言える×××××。

 録音テープはここで終わりました。初めのうちは、てっきり小生のことだと思ったのですが、どうやら他の人のことも入っているようです。反論したい部分もあるし、また、思い当たる部分もあるしです。

 Nさん、いずれにしてもこのテープ、いろいろと差し障りがあるので、お聞きになったら速やかに小生のもとに返却してください。くれぐれも活字にはしないように。



第一章 隣りのCMプランナー                          8)「『恥ずかしい』CM」

 8)「『恥ずかしい』CM」 (フリーの女性プランナー Oさんへ)

 この間、一緒に企画をやっていて、「恥ずかしいこと」という話になったね。この商品を持っていないと、恥ずかしい思いをする、という考え方で、色々なシーンを考えてみたけど、恥ずかしいと感じるかどうかは、ものすごく個人差がある同じことをしても、恥ずかしいと思う人と、何とも感じない人がいて、なるべく多くの人の共感を取りたいCMとしては、料理しにくいテーマなのかな、という結論で締めた。
 
 あの後、「恥ずかしい」というテーマでうまくいったCMを思い出してみたら、僕の好きなCMが一つだけあった。六、七年前のもので、ある演出家のパイロット・フィルムに入っていたものですが、ホンマにオン・エアできたのかいな、と思ったCM。

 スカートのファスナーを、締め忘れたOLが、さっそうと出勤するシーンに、ナレーションで、「恥ずかしい、恥ずかしい。○○を買わないのは、このくらい恥ずかしい」次のカットでは、ナント、スカートをはき忘れたOLが、さっそうと出勤するシーンに「恥ずかしい、恥ずかしい。○○を知らないのは、このくらい恥ずかしい」。○○は確か、クルマの名前だったような気がするけど、クルマのCMでこんな大胆なことやらせてもらえるのかしらん。

 商品名が思い出せないということは、CMとしては失敗かも知れないけど、「ヤラレたな」と思った。広告効果はともかく、表現の冒険としては、とても大胆だった。「知らないと恥ずかしい」という一点だけを強引にデフォルメして完結させるには、相当な力量が必要です。ま、めったに許される手ではないし、下手に手を出すと、それこそ恥ずかしいCMになりそうです。

 ところで、僕のものすごい体験。あれは三年前のことであります。僕と娘と、娘の友達の三人で水族館に行きました。思い出すだに、おぞましい出来事は、帰りの電車の中で起きたのです。乗った時、ポツリポツリと空席があり、僕は子供たちと離れて座ることになった。窓を背にして腰をおろすベンチ・タイプのシートで、ドアわきに娘と友達が座り、通路をへだてた反対側に僕。娘たちは、何やらキャッキャと話しており、離れていては仲間に入れてもらうわけにもいかずで、僕は知らず知らずのうちに自分の世界に迷い込んでいたのです。

 いくつ目かの駅で、二十歳くらいの女性が乗ってきました。彼女はドアわきのスペースに、外を向いて立ちました。ボディコンでした。

 どのくらいの時間がたったのでしょうか。「お父さん!お父さん!」と呼びかけてくる娘の声で、我に返りました。娘たちは、顔を見合わせてニヤニヤしています。まずい。相当にまずいぞ。危機管理を担当する脳細胞は、このさい寝たふりをしたほうがいいと、指令を発しています。ところが娘は、しつこく「お父さん!」と呼びかけてきます。こうなるとまわりの人にも、子供を無視するヘンな親父と見られそうで、目をあけて「何?」ときいてやりました。鳴呼(ああ)、僕はタヌキ寝入りを続けるべきだったのだ。

 娘は無邪気そのものの弾んだ声でいいました。
「お父さん!この人のオシリ見てたでしょう!」
 僕は頭が爆発するかと思った。わが娘が「あってはならない」ことを口にしている。やっとのことで「ウウン……、ち、ちがうよ」と応えた僕に、テキどもは、さらに追い討ちをかけてきた。
「ウソだあ。ゼッタイ見てたよ。ねえ、ゼッタイ見てた」

 最後のフレーズは、ごていねいにハモっていた。娘たちの隣りの、新聞を拡げていたオッサンが、新聞紙をヒョイと下げて僕を見た。目が合ってしまった。その瞬間、オッサンは、プッと吹き出して、また顔を隠してしまった。「落ち着け、落ち着け」。もうひとりの自分が、必死で囁きかけてくる。急いで、娘たちの言葉を点検してみる。

「お父さん!」この呼びかけがすでに救われない。乗り合わせた乗客の前で、僕が「お父さん」であることが明らかにされているのだ。「オトーサン」。CMを含めてマスコミが作ってきた「オトーサン」のイメージ。セコくて、スケベでマヌケな……。次の言葉「この人の」。そのとき、娘は、横に立った「この人」を指さしたのである。人を指さすものじゃありませんと、どうしてもっと厳しくしつけておかなかったのだ。「おシリ見てたでしょう」は……。もう、いい。僕の隣の男の肩が小きざみに震え始めた。こいつも笑っている……。
 その後、どんな顔をして乗り換え駅まで座っていたのか。その間のことは、オトーサンの記憶の中からスッポリ抜け落ちている。

 この体験を後輩のコピー・ライターに話すと、「大変でしたねえ」と、さかんに同情してくれた。何日かして、僕のデスクにやって来た彼は、ボソッと言った。「あの話、週刊朝日のデキゴトロジーの欄に載せていいですか
 よりによって、とんでもない男に話してしまったものだ。彼は、「デキゴトロジー」の取材協力者の一人だったのである。
 と、いうわけで、Hさん(39)は、イラスト付きで週刊朝日に載ってしまいました。
 Yさん、今までで二番目に恥ずかしかった話でいいですから、今度きかせてください。ぜったいにCMにはしませんから。



第一章 隣りのCMプランナー                      7)「姑(しゅうとめ)の立場とCM」

7)「姑(しゅうとめ)の立場とCM」 (演出家のKさんへ)
          
 嫁姑の確執を描いたCMが相変わらず元気です。これまでアンタッチャブルだった世界であり、まず作り手側が楽しんでいるのがよくわかる。ピップ・エレキバンの樹木希林と加藤治子シリーズもおかしいし、Kさんの手がけている、「鳳凰家の人々」鈴木保奈美と野際陽子のシリーズも、次が楽しみです。劇画タッチの、そこまでやるかの「嫁いびり」は、しっかりエンターテイメントしている。「今度はどうやって保奈美ちゃんをいじめようかと考えると楽しくて。フフッ」とヘンタイじみた笑いを浮かべて話してくれたけど、オイ大丈夫か、オッサン。

 嫁姑を描くと、いじめられる嫁に同情が集まるわけですが、僕はある「事件」を経験してから、姑の気持ちがものすごく理解できるようになった。断固として、僕は姑の立場を支持するのである。

 単身赴任して四ヵ月で迎えた夏休み。人出は少ない、食べ物は美味い。せっかく、リゾートの真ん中にいるのだからと、家族を博多に呼ぶことにした。2DKの僕の部屋をホテル代わりにしようという目論見だ。

 家族がやって来る日、朝から掃除を始めた。気持ち良く過ごしてもらおうと、布団と枕も干した。フローリングの床は雑巾がけもした。そして夜、博多駅に二人を迎えに行った。じつは、お盆の民族大移動を甘く見ていたために、飛行機が取れなかった。各方面に頼み込んで、やっとのことで「のぞみ」のチケットが手に入ったのである。夏休みには会えるのだからと、しばらく東京には帰っていなかった。改札を通って出てきた妻と娘とは、一ヵか月ぶりの対面であった。

 きれいに片づいた部屋に、二人を招き入れた。夫と妻、父と娘の穏やかな関係が復活するはずだった。ところが、である。四ヵ月の間に、僕はこの家の姑になってしまっていたのである。

 二人が荷物を置く。その場所が、まず気に入らない。いつも僕が洗濯物を干しに行くときの、動線の真上なのだ。妻がスリッパで歩く。フローリング部分はそれでいいのだが、脱衣スペースではスリッパを脱ぐことにしている。そのルールを無視する。着て来たものを洗濯し、かごに入れてベランダへ運んでいる。まさか、そのかごをベランダに置くつもりじゃないでしょうね。かごは部屋の窓際に置いて、洗濯物だけを持って出るのが、この家のしきたりなのよ。あらあら、そのハンガーに干しちゃダメよ。どうしてって、あなたそれはタオルやハンカチを干すハンガーよ。下着用はこちらにお願いしたいわ。うちじゃ二つに分けてるの。お母様はそういうのお教えにならなかったのかしら。えっ、どうして取り込んだものをそこで畳むの?  そこは、埃っぽい場所だから私はいつも……。

 妻の一挙手一投足をピリピリしながら目で追っている自分に気がつく。娘が、それを察してふたりを交互に見ている。いかんいかん、夫婦がうまくいってないんじゃないかと、妙に気をまわしてしまう。そう自分に言い聞かせつつも、イライラしてしまう。

 食器を洗った後、妻はすぐに布巾で拭いて片づける。湿気が残るかな、と結婚当初は気になったものだが口にはしなかった。きちんと片づけないと気がすまない人だから、それも彼女の美学だろうと納得していた。そういう片づけ方が、夫婦の、やがて家族三人のルールになっていた。戸棚の中に湿気を含んだ器をしまうのは嫌だな、という気持ちをいつの間にか飼い馴らしていた。ところが四ヵ月の単身生活によって、僕の野性が息を吹き返してしまったのだ。
「俺が好きなように片づけるから、座ってろよ」
 語気強く言ってしまった。久しぶりにいい奥さんをやろう、と意気込んで来たに違いない妻の肩がピクンとした。まずい、まずいよ。妻は、黙って食器を拭き続けている。寝ころんでゲームボーイをやっていた娘は、風雲急を告げるのを察して正座した。相変わらずボタンを押し続けているのが、視野の端に見えた。妻がボソッと言った。
「来て欲しくなかったの?」
 慌てて否定しながら、そのとき、すべてを悟った。四ヵ月の間に、僕はすっかりこの家の姑に成りきっていたのだ。 これはここ、それはそこ。あれが先、どれは後。知らないうちに家の中のすべてのことに、自分なりのルールを作っていた。そこに闖入してきた妻は、許しがたい無法者に見える。たった四ヵ月でこれである。姑の立場がよく理解できる。四半世紀以上に渡って営々と築きあげた磐石の法典を犯す者。汝の名は「嫁」である。
 翌日には島に渡って海水浴。三泊して戻ってからも、なるべく家にいる時間を少なくするべく、外に出かけるようにした。唐津、呼子、海の中道、博物館、福岡ドーム……。あっと言う間に一週間が過ぎた。ふたりを空港まで送る。
「来年の夏は、あなたが東京に帰って来て」
「それがいいな」

妻と娘を乗せた飛行機は、秋の気配を感じさせる雲に向かって飛び立ち、やがて小さな点となって東の空に消えていった。僕は、孫を連れて行かれた姑のようにしょんぼりとして、「初めから私が折れて、仲よくしとけばよかったんだわ」と、反省するばかりであった。
 
 「鳳凰家の人々」のCMも、野際洋子の反省でシリーズが終わるような気がします。Kさんの構想では、どうなっていますか。



第一章 隣りのCMプランナー                          6)「愛が冷めた理由」

6)「愛が冷めた理由」(グラフィック・デザイナーのK美さんへ)

 若い友人から「バツイチの原因となった、ささいな出来事」の話を聞いた。
 彼はシングルに戻ってまだ三ヵ月。言葉の端々に「こいつ、まだ惚れてるな」と思わせるものがあった。

 さて、彼の場合は「ぬいぐるみ」だという。奥さんが仕事を持っているので、家事は分担。洗濯もする。なかなか優しい奴なのだ。その日は、妻の帰りが遅かった。洗濯を始めようとしたのだが、洗う物が少ない。何かないかと見回すと、薄汚れたぬいぐるみがあった。妻が中学生の頃から、ずっと持っているというものである。きれいになったぬいぐるみを見て喜ぶ顔を思い浮かべながら、彼は洗濯機のスイッチを入れた。

 しばらくして、妻が帰ってきた。リビングでコーヒーを飲んでいた彼の耳に、悲鳴が聞こえた。駆けつけると、妻は乾燥機を見つめて呆然と立ち尽くしていた。
「あなたって、何てことをする人なの……」
 彼はバンザイのポーズで体を揺すりながら、「こんなになりながら、グルグル回ってるクマちゃんを、涙いっぱいためて見てたんですよ」と言った。
「涙いっぱいためて……」というときの彼の表情は、好きな女のことを話すときのそれだった。自分のしたことは悪いことだったと思っているようだ。ぬいぐるみを乾燥機に入れたことではなくて、彼女が悲しむ事をしてしまったことが、である。

 K美さんは、いちおう女だから、……もとい! K美さんは女性だから、そういう、ぬいぐるみへの愛着とかってわかる? 僕には何がいけなかったのか、さっぱり判らない。きったない、手アカの付いた、ダニの巣のようなぬいぐるみを、きれいにしてやって何が悪いのだ。自分のニオイが付いたぬいぐるみを抱いてないと眠れない、幼児じゃあるまいし。

 そんな子供みたいなのとは、別れて正解だよ。もちろん、言葉を多少選びながら言ってやったのであるが、とたんに彼は、「あなたって、何てことを言う人なの……」という表情になったので、慌てて口をつぐんだ。いい奴である。

 ま、ぬいぐるみだけの事ではないのだろう。
「ナンカ、コノヒト、チガウ」とボンヤリ感じていたことが、「クマちゃんグルグル事件」で、目からウロコが落ちるというか、目にコンタクト・レンズが入ったと言うか、突然はっきりと見えてしまったのだろう。

 じつは、こういうことはCMプランナーとクライアントの間にもある。CMを仮編集して、クライアントのチェックを受ける。宣伝部長が急用で同席できず、やむなく、預かって見せておきましょう、ということがある。
「良くできてるから、文句の付けようがないですよ」などと担当者は言ってくれる。数日後、呼ばれて行くと(呼ばれるということ自体、既に心の準備が必要なのだが)、担当者は妙にサッパリした顔つきだったりする。
「見せたんだけど、あのモデルの顔、部長好みじゃないんだよね。いや、撮り直しは何とかまぬがれたよ。顔のアップ、なしにすることでOKとったから」

 CMが話題になるかどうかは、モデルの可愛さにかかっていると思っていたのに、である。「部長さんは、具体的にはどんなことをおっしゃったんですか」と聞いてみると、口の横にあるホクロが気に入らないだけだったりする。ああ、そんなホクロは編集室で簡単に消せるのに・・・・・・。クライアントの担当者はよかれと思って、顔のアップをなくすことを決めてしまってくれたのだ。こっちは、モデルの顔をものすごく大事に考えていたのに。

 グルグル回る、愛しのVTRちゃんを見つめながら、
「あなたって、何てことをする人なの……」
 そう呟いて、僕は担当者のことを嫌いになってしまうのである。

「友達なんかも、つまんないことが原因でバツイチになってるんですよ」と、彼はさまざまなケースを話してくれた。

 A氏の場合は「ネコ轢いちゃった事件」。二人でクルマに乗っていて、轢いてしまった。その時のA氏の態度が、妻をいたく傷つけた。「あ、轢いちゃった」と、平然と言い放つ夫に、妻は愕然とした。「この人、やっぱり、私とは生きてきた世界が違う……」
 
 B氏の場合は「バスタオル事件」。二人とも、朝と夜シャワーを浴びる。毎日、四枚ものバスタオルを使うことになる。「だれが洗うと思っているのよ」と、なった。「じゃ、俺も洗濯手伝うよ」とは、ならなかった。同じタオルを二人で使おう、そうすれば一日二枚で済む。と、いうことで合意が成立した。ところが、である。どちらが先に使うかで大もめにもめた。
「私が使ったの、使いなさいよ」
「そんな、濡れた気持ち悪いので拭けるかよ」
「どうして、私の体を拭いたのが気持ち悪いのよ」

 夫婦喧嘩につきものの、論理の大きな飛躍も手伝って、濡れたバスタオルは、二人の関係までも湿らせてしまったのである。

 C氏の場合は「ゴミ袋をだれが出すか事件」わかりやす過ぎるので、説明はしない。

 さて、A氏の「ネコ轢いちゃった事件」は、広告で言えばこんなケースに当たる。
「部長のところでダメが出ちゃった。しょうがないよね。ああいう人なんだから」と、担当者。部長のことをいちばん知ってる、あなたの指示どうり僕らはやってきたんでしょうが。ハンドル握ってたのは、あなたよ。可愛いCMがペッチャンコになったのに、悲しいとは思わないの?

 B氏の「バスタオル事件」のケース。
「いろいろアイデアを出してもらったんだけど、どれもピンとこないんだよね。私が、以前、手がけたような、あんなCMを考えて欲しいんだよね」と、担当課長さんのお言葉。私の使ったバスタオル、使いなさいよ。ああ、体が冷えるうー。

 C氏の「ゴミ袋を誰が出すか事件」のケースは……もういい。

 そんなささいなことが引き金になって、熱がスーッと冷めるというのかな、そのクライアントを好きでなくなってしまうことがある。
「ゴメン」なんて一言がつくだけで、根が単純だから、すぐシッポ振ってジャレついてしまうことの方が多いんだけどね。



第一章 隣りのCMプランナー                            5)「ネーミングがイメージを変えるとき」 

5)「ネーミングがイメージを変えるとき」 (コピー・ライターのDさんへ)

先日、父の祝い事があり、ちょっと奮発して両親と我が家族で生け簀料理の店に行きました。

オコゼの活き造りを頼んだのですが、その姿を見た娘の言葉には困ってしまった。「かわいそう」、とか「ザンコクー」とか言ったわけではありません。いつ覚えたのか、箸につけた日本酒をオコゼの口の所に持っていって、オコゼがピクピク動くのを楽しんだりしている。躾(しつけ)としてどうか、という問題はあるものの、フィッシュ・イーターである日本人の子供なのだから、魚を食べ物として冷静に見ているのは、むしろ良いこと。問題なのは、「この顔、××ちゃんのお父さんに似てるね」などと言いだし、妻もつられて「面白い顔してるわね」、と「顔」、「顔」の連発になったことである。

僕は食欲をなくしそうになってあわてた。「顔はやめなさい、顔は。魚に顔があるもんか。魚は「頭」だろうが」。

言ったとたんに、オコゼは大きな口をパクリと開けて、ほんとに××ちゃんのお父さんそっくりの「顔」になったあと、絶命した。

魚好きの僕はすぐに気を取り直して美味しくいただいたのですが、やはり「魚の顔」はいけません。

日本人は肉を「牛肉」、「豚肉」と呼ぶけれど、これは肉食の歴史がまだ浅いからかも知れません。英語では「カウ」と「ビーフ」、「ピッグ」と「ポーク」は、はっきりと分けています。言葉を変えることで、生き物としての「牛」と、食糧としての「肉」を区別している。いや、むしろ別の物と考えているから、別の言葉が付いたというのが本当かも知れません。

少年時代、田舎の僕の家ではヤギを飼っていました。子ヤギが生まれて、雄でした。草を食べるようになると、毎日外に連れだして遊びました。初めは、「ヤギ、ヤギ」と呼んでいたのですが、名前をつけたくなって祖父に話すと、叱られました。絶対に名前はいかん、と言われました。仕方なく、「ヤギ」と呼んでいたのですが、ある日、オートバイのおじさんが来て「ヤギ」は荷台のかごに押し込められて売られていきました。

一緒に遊んでいた日々のことが忘れられず、食卓に家族が揃っているとき尋ねました

「あのヤギ、どうしてるかなあ」

母が、「いい人に貰われて、元気に暮らしてるよ」と言いました。父のほうを見ると、黙って箸を動かしています。その時、祖父が何の屈託もなく言いました。

「今頃は、ハムになっとろう」

あの日のショックは忘れられません。それから何年かは、ハムが食べられませんでした。

さて、広告の世界では、イメージを変えるために新しい名前を付けたり、呼び方を変えたりということをよくやります。いたずらに日本語をいじるのは、どうかと思うけど、その方が実態に迫れるということが確かにある。以前、団塊世代が中年にさしかかった時に生まれた、「ナイス・ミドル」や「スニーカー・ミドル」。中年という言葉が、実態とそぐわなくなっていたところにピタリとはまった。実態が身の丈にあった言葉の服を手に入れた、という感じがありました。

そして不思議なことに、新しい言葉が付くと、それまで変わろうとしなかった「中年」の人たちまで、言葉のイメージを追いかけるように、ナイスなミドルに変わっていきました。

今、元気な老人がどんどん増えています。「老人」という言葉に納まり切らなくなった時、しっくりと体になじむのはどんな言葉だろう。できれば英語じゃなくて、日本語のほうがいいなと思います。今までは、新しいことに名前を付けようとすると、どうしても英語になりがちでした。日本語に、実態と釣り合う新鮮な言葉が見つからず、やむなく……というケースが多かった。での最近では、たとえば「まいどカード」や「撮りっきりコニカ」のように、力のある日本語の発見がうまくいき始めたように思います。僕自身も、この頃、日本、特に中世の精神世界に共感を覚えることが多くなっています。

「新老人」を呼ぶ新しい言葉は、もしかしたら、そのあたりから生まれてくるのかも知れません。

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「コピー年鑑」の名簿欄で

しばらく、林真理子さんと

席が隣り同士だった。

ただそれだけの

清らかな関係であった。

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※「カウ」と「ビーフ」、「ピッグ」と「ポーク」の関係については、ある人から次のような指摘をされた。

イギリスの王室にフランス王室の姫が嫁ぐとき、料理人を伴って渡英した。ビーフ、ポークはフランス語に由来する。つまり、食材としての動物はフランス語で呼ばれたという話だった。(2010年2月に林・記)



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